罰を重くすればバカッターの炎上がなくなるのか?
結論を書こう。
罪を重くしてもバカッターの炎上は無くならない。しかも、Twitter(やネットによる情報発信)を止めない限り、本人が再度炎上事件を起こす可能性すら無くならない。
炎上は他人事ではない。
いつ、自分、家族、職場……ステークホルダーが炎上するかわからない。そのような時代に入ったことに注意しなければならない。
あなたは、いやいや、twitterやらないから。炎上なんてありえないから。そう思うかもしれない。だが、その認識は甘い。たとえ、ニートの引き篭もりでさえ炎上する可能性はある。
それは、ネットに接続されているからである。と言うと、ちょっと語弊があるか。
ネット上に情報を発信しているならば、炎上する可能性は常に付随していると言い換えよう(ROMっているだけならば安全だ)。
何故か。簡単に説明しよう。と、その前に、冷蔵庫に入った写真をTwitterに投稿したアルバイトの一件を思い出してみる。彼は、その一件で間違いなく人生を狂わせた。そんな人生の一大事を起こすことになった彼は、どのような意識でツイートしたのだろうか。
はぁ? 馬鹿の考えなどわかるわけないだろ。口の悪い人ならそう答えるかもしれない。実際問題、他人の考えなどわかるはずもない。でも、推測はできる。想像 の範囲なので、本人の意図とは異なっているかもしれないが、バカッターをした理由をイメージするに……、きっと、単に面白いと思ったからだ。暑いから冷蔵庫に入ってみた。 冗談レベルの行動、お笑い芸人がやりそうなネタだ。それをTwitterに投稿すれば人気者間違いない。と、そこまで考えたのかわからないが、少なくともその後、ど のような運命が待ち受けているかなど想像できていなかった。
確信を持って言えることだが、未来の自分の運命を知っていたのならば、彼は冷蔵庫に入ることはなかっただろう。少なくとも、ツイートすることはなかったはずだ。あーあ、Mixiで友達限定公開だったら良かったのにね。思わず、そう呟きたくなるのだ。
さて、そう考えてみると、彼は、故意にバカッターをしたわけではない。つまり、この一件は、ミスである。若しくは、事故だ。
ところで、車での交通事故の加害者にならないためにはどうすれば良いだろうか。
訊かれた経験がある人ならば即答するだろう。答えは簡単で、運転をしなければいいのである。
車の運転を行わなければ、絶対に事故は起こさない(運転者として)。だが、車を運転するならば、必ず事故を起こす可能性を秘めている。当然、人によって確率差は出てくる。事故を繰り返し発生させる人間と、死ぬまで一度も問題を起こさない無事故無違反ドライバーの違いだ。大きな差が存在することは否定できな い。
しかし、運転する以上、事故を起こす可能性はゼロじゃない。無限の時間が存在するならば、いつかは必ず事故を起こすはずだ。
ある意味、宝くじと似ている。宝くじを購入している以上は当たる可能性がある。もし、購入していなければ、当たる可能性は無い。それと同じことだ。
ネットに情報発信をすることも同じで、自分が炎上するようなことはあり得ない。そう自信を持って言えるのはネットに情報を発信していない人間だけである。Twitterを行っていなければ、書き込みをせずROMだけであるならば、炎上することは無い。逆に、書き込みをしていれば、いつどんなことから、炎上する事態に陥るか全く予想することはできないのだ。
先日、2チャンネルの●の情報が流出した。その影響で、問題ある内容を書き込んでいた人たちの一部の身元がばれてしまった。その様を自業自得と見るだろうか。正義を振りかざして攻撃して欲求不満を解消する人もいるかもしれない。攻撃していたはずの立場が、一夜にしてひっくり返ってしまったのだ。2チャンネルもとうとう実名サイトになってしまったか。などと冗談を言う余裕があるのは傍観者だけで、不適切な発言を投稿していたのがばれてしまった当事者たちは、戦々恐々としているのではないか。これは、よもや起こるはずがなかったことが起こった。と言う実例のひとつだ。
閑話休題、話を強引に戻そう。
バカッターによる一部の炎上、窃盗や恐喝など明確な犯罪行為ではない、軽犯罪法にすら該当しないような民事で解決できるような事件、――例えば、先日の冷蔵庫事件が該当するが――、そのような事件はいつでも発生する可能性がある。何が炎上する原因になるかなど、ある意味、予想することすら困難だ。バカッターを攻撃しているはずの人物だって、該当人物が自殺したりすれば、ブーメランとなって責任を追及される立場に変わるかもしれないのだ。
さて、炎上する予想は不可能であるが、防止する手段はいくつか存在するはずだ。それを考えてみよう。
難しく考える必要は無い。長々と書いてきたこれらの話には、実は一貫性がある。もし、あなたが、失敗学や安全工学を学んだことがあれば、ピーンとくるものがあったのではないか?
そう。これは、ヒューマンエラー - Wikipediaに該当する。
ヒューマンエラー (英: human error) とは、人為的過誤や失敗 (ミス) のこと。 JIS Z8115:2000[1]では、「意図しない結果を生じる人間の行為」と規定する。
犯罪、若しくは問題となるであろう行為と認識せず、炎上を起こしているバカッターは、まさにヒューマンエラーが原因であると言える。意図して行っていないだけ、撲滅することが難しい。本人にとって、明確な悪意を持って行っている犯罪行為より無くすのが難しいのだ。本人が悪いと考えて行っていないのであるから、結果に対して厳罰を与えたところで、無くなるはずがない。スピード制限を守ることは意志の力で可能だが、強い意思があったとしても、無事故を守り続けることは絶対に可能であると言えないのだ。運転する以上、事故の可能性は必ず付きまとい、ヒューマンエラーに起因する事故は、厳罰を下したからと言ってなくせるものではない。何故ならば、人間は失敗をする生き物だからだ。
待て待て、そんなことはない。見せしめ効果は絶対にある。ここまで書いてもそう信じている人もいるだろう。そこで、別の例を挙げてみよう。
振り込め詐欺――最近では、母さん助けて詐欺と呼ぶのかもしれない――詐欺の手口はヒューマンエラーを利用している。電話先の人間を重要な人物であると錯覚させているのだ。
騙されれば、被害額も笑って済ませないほどになる。望んで騙される人などいるはずが無い。それなのに、どうして騙されるのか。ネットで見かけた幾人かの被害者(若しくは近親者)は、自分だけは騙されるはずがないと思った。そう発言している。そして、私は用心深く、とても注意したいたのだけれども、相手はこんな巧妙な手口だったから騙されてしまったのだと。
炎上と似ていると言っては叱責されるだろうか。言うまでも無く、騙されたのと、自分で炎上させたのでは本質的には違う。だが、ヒューマンエラーが介在しているという意味では同じなのだ。
振り込め詐欺に騙されない対策は、ヒューマンエラーによる対策に通じるものがある。一つの事例、巧妙な手口を知ることは、騙されない対策の一つではあるが、参考程度にしかならない。騙されないための本質を考えず、目先の巧妙な手口を追っていても効力は弱い。型の違うインフルエンザウイルスに対して、ワクチンの効き目が弱くなるのと同じで、詐欺師の次々と編み出される凡人の想像できないような巧妙な新たな手口に対して対処できない。改造されたネットウイルスがワクチンソフトのパターンを潜り抜けるのと同じだ。対抗する一番の方法は、本質的な部分を押さえる事だ。振り込み詐欺で言うならば、絶対にお金を出さないことである。振り込まないし手渡さない。振る袖がなければ騙されようがない。
転じて、バカッターの炎上を無くすことを考えてみよう。あなたがもし経営者ならば、冷蔵庫に入りません。という誓約書を書かせることは、少しのご利益しかないと知るべきだ。冷蔵庫に入らなくても炎上させる罠はいくつも転がっているのだ。バカッターなど、経営者が予想できないことで発生するものなのだ。
だから、経営者が一番初めに指示するのは、スマートフォンを職場に持ち込ませないことだ。スマートフォン、カメラなど仕事に必要が無いものは、更衣室に保管させること。そして、ロッカーに鍵をかけること。これらを徹底させるべきなのだ。
次に行うべきことは、職場で起こった出来事をネット上に公開させないことだ。余計なことを書かないこと。写真を公開しないこと。それほど、難しい指導ではないはずだ。
と、書いていると、教育の重要性を軽視しているように思われるかもしれない。勿論、そんなことはない。何が問題になりそうか、どうすれば良い仕事ができるか。しっかりとした教育とコミュニケーションがなされていれば、回避されている問題も多いはずだ。
ただ、ヒューマンエラーを無くすためには、まずハードウェアの対策が重要であり、次にソフトウェアの対策が必要となる。最後に、エラーが発生した場合の被害を最小限に抑えるリミッターが不可欠だ。と言うことを主張したいだけだ。
罪を重くすることに意味はない。ネット上で無関係な人間がバカッターを叩くことは虐めに近い行為だ。割れ窓理論 - Wikipediaの考え方は賛同できるが、不注意で窓を割った人間を追い詰めることが正しいとは到底信じられない。割った窓を修復させればそれで十分なのだ。一人の人生を崩壊させても、社会に有益な行為とは言えないだろう。負のスパイラルに陥るだけなのだから。
だから、もし、バカッターを見かけたとしても強く糾弾しないで欲しい。犯罪行為、特に重犯罪でないならば――冷蔵庫に入るくらいならば――問題行為を指摘する程度で留めて欲しい。そう考えるのだ。そして、その考えはそれほど間違っているとは思えないのだ。
了