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現在社畜の掌編とエッセイ

思いつくままに頭の中身を偏らない視点を意識しながら掌編やエッセイとして出力します。

成果主義とか能力主義とかできっこないじゃん(1)

 アウトプット。成果によって給料を決定する。

 

 もっともな意見に聞こえる。だが、それは幻想である。日本の企業には不可能なことなのだ。以下にそのことを説明しよう。

 

 成果主義が何故上手くいかないのか。一番の問題は評価する側の能力が足りていないからである。優秀な人間、成果を出している人間が正当に評価されない。その結果、優秀な人材が使いこなされず、無能な人間が出世する。すると、出世した無能な人間は、以前より成果を公正に判断できず、よりいっそう混乱させてしまう。負のスパイラル状態に陥っていく。結果など出るはずも無い。

 

 そもそも、評価する側の半数以上は、成果の正しい評価の方法を理解していない。全体的な結果から判断するわけではなく、個人の感情によって判断をする。仕事が出来ているから高い評価を得るわけではなく、残業時間が長い。とか、評価する側の命令に反発をしない。とか、そんな理由で評価が変化するのだ。

 ばっかじゃねーの。そう思うかもしれないが、それが現実だ。世の中は想像している以上に無能な人間で溢れている。あいつは頑張っているから評価を上げてやろう。あいつは上司の意向に沿った仕事をしているから評価を上げてやろうなどと、理由付けなどはいくらでも可能だ。だが、それは全く成果とか能力とか関係ない。残業時間が多ければ頑張っているなどと判断するのは成果主義と対極的な判断方法だ。そもそも、優秀な人間ならば、残業時間を抑制することも可能なのだから。無能な人間に限って、残業時間の多さとかそんなレベルで評価を下したがるのだ。

 日本人は感情的な理由で評価を決定しやすい。客観的だ。と主張する人間に限って主観的に判断をする。論理的だ。と主張する人間に限って感情的に判断をする。正当な評価がなされていないのだ。

 

 それだけではない。評価されている人間が成果を出していない場合もある。

 成果を出していないのに評価される? それは上司(評価する側)が無能なの? いやいや、確かに管理が出来ていない面も否定できない。だが、それより、成果を出している人間が、能力をある人間を囲っており、隠している場合がある。部下を使いこなしている。そう言えば聞こえがいいが、実際には部下が仕事をしているだけで何もしていない人間がいる。毎日、うろうろとしているだけで、成果は部下が出しているのだ。その癖、報告段階には部下を引っ込めて絶対に出させず、全ての結果は自分の実力ですよ。と言わんばかりに大きな顔をするのだ。この場合、組織が変更が無ければ上手くいく場合もある。評価されている人間も位が上がれば、自分の部下を引き上げることもある。けれども、優秀な部下がいなくなった瞬間に張りぼては崩れる。部下ならまだしも外注であればもっと悲惨だ。一寸先は闇なのだ。

 

 大企業であれば、人事制度の問題もある。見えない人事を行う難しさは筆舌に尽くしがたいだろう。だからと言って、事業部自体に任せていては、評価なんて出来るはずも無い。下から上がってくるデータシートを舐めるだけなら、コンピュータにでもやらせればいい。評価する側の能力をコントロールできていないことも多いのだ。

 

 そもそも、ある一定の年齢までは、自己裁量権が限られている。成果なんて出すことが難しいし、出したとしても無能な上司になら盗まれてしまう。能力主義です。などと会社から言われたとしても他人事のようになってしまう。

 

 もし、成果主義や能力主義を行いたいなら、評価制度を考えるべきである。正当な評価ができるのならば、会社を成長させる原動力になるだろう。事実、中小企業で隅々にまで目が届くのならば、成果主義を効率的に利用できるだろう。ただ、ワンマン社長に限って、根性論とか成果主義と反対側の思考を持っていることが多く、悲惨な成果主義になりやすいのだが。

 大企業はもっと状況が複雑なはずだ。自己目標管理制度など使ったとしても、成果主義を反映させるのはかなりの困難だ。あれは、声が大きい人間のかつゲームなのだ。いい加減にやめたらいいのに。

 明日は、その点について書いてみたい(要望があれば)。

 

 了