現在社畜の掌編とエッセイ

思いつくままに頭の中身を偏らない視点を意識しながら掌編やエッセイとして出力します。

秋を恐るると言うこと

 人は誰しも死ぬ。間違いなく死ぬ。残念なことだけれども絶対に死ぬ。逃れることは出来ない。不老長寿を追い求めようとも、仙人になろうと努力しようと、金持ちだろうと、貧乏人だろうと、このルールから逸脱することはできない。

 

 しかし、必要以上に嘆かなくてもよい。人は死があるからこそ輝けるのだ。もし、人が死ななかったら――ゾンビであったならば、輝けるだろうか? ほら、ゾンビっていつも薄汚れていて駄目っぽいじゃない。腐りそうじゃない。無意味にうろうろとしているだけじゃない。お前ら、何で人間を襲うの? 死なないんだから適当に過ごしてりゃ良いじゃん。

 

 Q.E.D、人間は死があるからこそ輝ける。

 

 だからと言って、無意味な死はゴメンである。ゾンビに襲われて殺されたりするのは絶対に嫌だ。勘弁願う。あくまで個人的な意見だが、できれば、畳の上で、子供や孫一同に囲まれながら、春の日差しが暖かいねぇなどと思いつつ死にたい。痛みや苦しみは最小限でお願いしたい。

 

 勿論、これが理想的なことだとは知っている。人生とはままならないもの。禍福は糾える縄の如し。いいことも悪いこともある。逃れられない運命だってある。解ってる。とは言え、逃れられるものなら逃れたいのだ。

 

 特に、秋は注意が必要だ。奴らには気をつけても気をつけたりないくらいだ。

 

 ――刺客

 

 季節柄とは言え、死神である奴らに近づいてはいけない。闇の中から現れて、簡単に命を奪っていく刺客は古来から存在したのだ。中東ではアサシンと呼ばれ恐れられていたし、中国だって始皇帝の時代から使っていた。日本だってヤマトタケル - Wikipediaの話もある。

 

 秋を恐れよ。

 刺客の季節である。

 

 現代だって油断は出来ない。刺客なんて何処にでも存在する。味方のはずが気がつけばいつの間にか敵。そのような状況は日常茶飯事だ。そう、社畜なら解るだろう? 上司であるはずの人間とトラブルで一緒に謝りに行った時、上司が完全なるお客様目線を意識しているうちにお客様状態となって、お客様が仰け反るくらい高圧的に、社内であればパワハラやーんと断言できるような言葉の爆弾を投げつけてくるなんて無さそうで当たり前のように存在することを。必死になって作成した仕様書や取扱説明書を、審査するからちょっと見せてみろ。と言いつつ平然と自分が作成したような顔をしてお客様のところに持っていく上司がいることを。部下の手柄は、上司の手柄。上司の失敗は、部下のミス。冗談のような本当の話。勘弁してよ。いや~ん。

 

 だから、古来から言うのだ。恐れよジャイアン論法。恐れよ上司が一番のお客様目線。

 

 大変だな社会人。なんて思った学生だって油断は出来ない。人恋しくなる秋、などと寝言をほざいて彼氏、彼女なんか作った日には、どうなることか解っているのか?

 

 爆発するんだ。どっかーんと。

 

 これをリア充爆発現象と呼び、この現象を起こす刺客がハニートラップと呼ばれている。

 

 そもそも、人間なんて他人の考えていることなどわかりゃしない。解った振りをしているだけのことだ。だから簡単に騙される。特に、男性は騙されやすい。注意しろ。近づいてきた女性は、刺客かもしれない。動く地雷原かもしれない。踏んづけてもいないのに爆発する。連鎖反応を引き起こし、人間関係焼け野が原にしようと、刺客は秋になれば常々狙ってくるのだ。ああ、怖い。やっぱ、魔法使い最高だな。

 

 他にも刺客は沢山いる。秋になれば、書ききれないほどの刺客が襲い掛かってくる。はっきり言ってかなり怖い。油断も隙もない敵に狂いそうになることもある。だが、彼を知り己を知れば百戦殆うからずと言うように、刺客のことを知り、自分のことを知っていれば必要以上に恐れる必要はないのだ。人生のスパイスとして、刺客も必要悪なのだ。刺客が存在するからこそ輝ける場合もあるのだ。

 

 私は、少しだけだが彼――刺客のことを書かせてもらった。ここまで読んでくださった貴方の少しでも役に立ってくれれば嬉しい。そして、このブログを読んでくださっている皆さんと一緒に、ブログサーフィンに出ようと思う。刺客のことを他の方のブログを読んで学ぼうと思う。多分、沢山の情報がアップされているはずだ。何せ、今週のお題は『秋の刺客』だから。

 

 

今週のお題「秋の味覚」