現在社畜の掌編とエッセイ

思いつくままに頭の中身を偏らない視点を意識しながら掌編やエッセイとして出力します。

若者は雇わない――おかしな論理

 本当の話か嘘の話か解らない。真偽を確かめるつもりもあまりない。所詮、ツイッターで流れてきた話だ。情報の正確性なんて求めても仕方がない。

 

 それでも、真実っぽく聞こえるところが怖い(真実かもしれない)。横目で見たタイムラインの話は、次のような話だった。

 

最近、バカッターとかバイトテロと呼ばれる若者のツイッターやSNSによる情報漏えいやイメージダウンが多い。だから、バイトには高齢者を雇い会社がイメージダウンをするような炎上を起こされる可能性を減らす。

 

 と言うものだった。思わず。はぁ? はぁ。となってしまった。

 以前のブログに書いたとおり、炎上は若いから起こすわけでも、年配だから起こさないわけでもない。単に、簡単にネットに接続しているか、否か。というただそれだけなのだ。一般的に年配、高齢者の方がネットを使用している可能性が低いという意味では、高齢者を雇用するほうがリスクは小さいとも言えるが、根本的な対策を採らない限り、結局のところ意味はない。

 

 記憶に残っている人もいると思うが、ブログが炎上したことが原因となって自殺した可能性のある県会議員のことを考えてみる(直接的な証拠が無いため、ちょっと歯に物が挟まったような表現)*1。亡くなられた当時、五十六歳だから、若者の範囲には当てはまらないだろうし、この若者を雇わないと発言した人が雇いたいような年齢のように感じられる(定年前後の年齢の方を望んでいるのでは)。完璧にマッチしている年齢層のはずなのに、この県議のブログは炎上してしまった。

 

 理由はいくつも挙げられる。私だって、この方がブログに書いていた内容が素晴らしかった。などとは到底思えない。世間から突っ込まれる要素が沢山詰め込まれていた。ただ、この方もブログをやっていなければ炎上をしなかったはずだ。集中砲火など浴びることもなく暮らしていたに違いない。偶々、この方は、社会的地位を持っていたからいっそうの悲劇だった。どこぞの無職の老人であればテレビで非難されるまでにはならなかっただろうし、自殺するほど追い込まれることも無かっただろう。

 

 いや~、社会的地位なんて無いから大丈夫。そんな問題ではない。別に年配であるからバカッターなんて起こさない。バイトテロなんて発生しない。この例からも解るとおり、そんな根拠は全く無い。要するに、若者だから炎上する。年配だから炎上しない。そんな論理は一切成り立たないのだ。若者が、詰まらないいたずらで炎上させるように、年配者は他人を批判させたりして炎上させやすい。当人たちは、問題がある行為との認識が無いため、未然に防ぐことなど難しい。冷蔵庫に入らなきゃ大丈夫。そんな話ではないのだ。

 

 だから、経営者は若者を雇わない。そんなことを考える前に、ネットワークリスクと教育について考えるべきなのだ。社内での教育が適切になされ、高いモラルを維持していれば、(犯罪行為の)情報漏えいを完全に防ぐことは難しいものの、バカッターなどのヒューマンエラーに近い炎上はかなり高い精度で抑えることが出来るはずだ。

 

 事実、あれだけの人数がいるはずのディズニーランドやマクドナルドからの炎上の話は聞いたことがない。バイトの人数から考えれば、真っ先にバカッターの餌食になっても不思議ではないのに、だ。

 

 大事なことは、本質を抑えることで枝葉をつつくことではない。無論、最終的にトラブルを防止するために枝葉をつつく必要が出てくる場合もある。だが、それはもっと大きなストリームを押さえてからの話だ。

 

 若者はバカッターだから雇わない。そんな本質からずれた発言をする経営者が、優れているとは想像できない(ただ、特化系の経営者も存在するので一概に無能とは言えない)。少なくとも、その程度の理由で雇用を抑制する企業には近づかない方が無難だ。ほとんど思い込みとも言えるような内容で、経営方針を決定している可能性がある。それだけではない。信用していたはずの年配者が炎上させる可能性は全く低減されずに残っている。

 

 バイト先が無くなると恐れる必要はない。真っ当な経営者は世の中に沢山いる。多少賃金が安くなったとしても(通常は酷い経営者の方が給料が安い)、納得が出来る経営者・店長がいる企業の門を叩けばいい。若いうちは機会は沢山残されているのだから。働き先はたくさんあるのだから。

 

 了

 

*1: ブログ“炎上”の岩手県議、自殺か 「ここは刑務所か」と病院対応を批判 - MSN産経ニュース

 

 

第104回職域団体対抗将棋大会感想

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 第104回職域団体対抗将棋大会に参加しました。

 私の所属している会社では複数チーム参加です。一軍はそこそこ、いや、かなり強いのですが、二軍はあんまり強くありません。とは言え、将棋を指していない人と比較すれば激強だとは思いますが。

 

 どんなスポーツでもゲームでも同じですが、本気でやっている人と、齧っただけの人では才能やセンスだけでは埋めきれないレベル差があるものです。

 

 ただ、こんなとこに来ちゃう人はそこそこ真面目に将棋を指している人が多いので、勝つことは楽ではありません。二軍、三軍チームでも化け物のように強い人が沢山いるのです。なので、下位クラスであっても油断することはできません。

 

 私の実力は、『将棋クラブ24』――ネット将棋クラブで、1000弱、5級程度なので、弱いわけではありませんが、強いわけでもありません。個人的には、24のR(レーティング)で1500欲しいところですが、歳のせいか成長は難しいかもしれません。

 

 そんなレベルでも下位クラスであれば、そこそこ勝つことができます。ただ、油断は禁物です。本日の成績は、4勝(全勝)だったのですが、相手のポカが多く、完全な勝利とは言いづらい状況でした。前回も2勝1敗だったので、勝つことは出来ますが、容易ではありません。

 

 団体戦なので、不利な状況でも放り出す人はほとんどいません。ただ、このレベルですと、慎重になるあまり、攻めがぬるくなる人がいます。安全に、安全に、と攻めてくる場合は逆転のチャンスになります。死んだ振りをして好機を待つ忍耐力が必要になります。逆に言えば、自分も安全ばかり考えていると、大きなミスが無くてもいつの間にか悪くしてしまう危険性もあります。注意が必要です。

 

 本日の結果は上々でしたが、戦局はかなり微妙でした。第一局は矢倉の変形で序盤でかなり良くしたのですが、攻めきるのは大変でした。6九玉の形のまま戦いが起こったため、あまり無理な攻めをして飛車を渡したりすると反動が厳しいのです。駒をなるべく渡さずに攻めきるように注意をしました。第二局も矢倉で、今度は序盤で危なくしましたが、相手のミスもあり押し切ることが出来ました。第三局は対振り飛車でした。居飛車穴熊に組めたので十分と思っていたら、何故か相手の方が自爆穴角をされ、1二歩で角がほぼただで貰うことができました。その後、暴れられましたが、こちらは穴熊ですから、速度計算は簡単です。そこそこの形にされるのを許して攻めきり勝利することができました。第四局も矢倉で、相手の方の棒銀で9筋を突破されて、序盤は容易ではありませんでした。ただ、駒を使っての攻めでしたから、一気に終盤に持っていき1筋からの逆襲で即詰みに持っていって勝利できました。

 

 こうやって振り返ってみると簡単そうに思えます。確かに、第三局は角がプレゼント状態だったので気分的にも楽でしたが、二局も四局も油断すれば負けていたような状況でした。とは言え、安全に勝つなんて、相当の実力差がないと不可能です。まだまだ修行が必要です。

 

 などと言いましても、勝ち負けだけではありません。私たちは棋士を目指している奨励会員ではありませんから、負けても構わないのです。重要なことは社内の人と協力して目標に向かって頑張ることなのです(ですから、勝とうとすることは当然重要なのです)。また、将棋を通じて社外の人と交流を行うことなのです(なので、マナーは非常に大事です)。そして、楽しむことなのです(ホント、勝っても負けても楽しいです)。

 

 こんな楽しいイベントを社会人になって味わう機会はなかなかありません。もし、興味をもたれた方がいらっしゃいましたら、将棋部のドアを叩いてみてはいかがでしょう。有意義な時間を過ごせること間違い無しです。

 

 了

 

 

秋を恐るると言うこと

 人は誰しも死ぬ。間違いなく死ぬ。残念なことだけれども絶対に死ぬ。逃れることは出来ない。不老長寿を追い求めようとも、仙人になろうと努力しようと、金持ちだろうと、貧乏人だろうと、このルールから逸脱することはできない。

 

 しかし、必要以上に嘆かなくてもよい。人は死があるからこそ輝けるのだ。もし、人が死ななかったら――ゾンビであったならば、輝けるだろうか? ほら、ゾンビっていつも薄汚れていて駄目っぽいじゃない。腐りそうじゃない。無意味にうろうろとしているだけじゃない。お前ら、何で人間を襲うの? 死なないんだから適当に過ごしてりゃ良いじゃん。

 

 Q.E.D、人間は死があるからこそ輝ける。

 

 だからと言って、無意味な死はゴメンである。ゾンビに襲われて殺されたりするのは絶対に嫌だ。勘弁願う。あくまで個人的な意見だが、できれば、畳の上で、子供や孫一同に囲まれながら、春の日差しが暖かいねぇなどと思いつつ死にたい。痛みや苦しみは最小限でお願いしたい。

 

 勿論、これが理想的なことだとは知っている。人生とはままならないもの。禍福は糾える縄の如し。いいことも悪いこともある。逃れられない運命だってある。解ってる。とは言え、逃れられるものなら逃れたいのだ。

 

 特に、秋は注意が必要だ。奴らには気をつけても気をつけたりないくらいだ。

 

 ――刺客

 

 季節柄とは言え、死神である奴らに近づいてはいけない。闇の中から現れて、簡単に命を奪っていく刺客は古来から存在したのだ。中東ではアサシンと呼ばれ恐れられていたし、中国だって始皇帝の時代から使っていた。日本だってヤマトタケル - Wikipediaの話もある。

 

 秋を恐れよ。

 刺客の季節である。

 

 現代だって油断は出来ない。刺客なんて何処にでも存在する。味方のはずが気がつけばいつの間にか敵。そのような状況は日常茶飯事だ。そう、社畜なら解るだろう? 上司であるはずの人間とトラブルで一緒に謝りに行った時、上司が完全なるお客様目線を意識しているうちにお客様状態となって、お客様が仰け反るくらい高圧的に、社内であればパワハラやーんと断言できるような言葉の爆弾を投げつけてくるなんて無さそうで当たり前のように存在することを。必死になって作成した仕様書や取扱説明書を、審査するからちょっと見せてみろ。と言いつつ平然と自分が作成したような顔をしてお客様のところに持っていく上司がいることを。部下の手柄は、上司の手柄。上司の失敗は、部下のミス。冗談のような本当の話。勘弁してよ。いや~ん。

 

 だから、古来から言うのだ。恐れよジャイアン論法。恐れよ上司が一番のお客様目線。

 

 大変だな社会人。なんて思った学生だって油断は出来ない。人恋しくなる秋、などと寝言をほざいて彼氏、彼女なんか作った日には、どうなることか解っているのか?

 

 爆発するんだ。どっかーんと。

 

 これをリア充爆発現象と呼び、この現象を起こす刺客がハニートラップと呼ばれている。

 

 そもそも、人間なんて他人の考えていることなどわかりゃしない。解った振りをしているだけのことだ。だから簡単に騙される。特に、男性は騙されやすい。注意しろ。近づいてきた女性は、刺客かもしれない。動く地雷原かもしれない。踏んづけてもいないのに爆発する。連鎖反応を引き起こし、人間関係焼け野が原にしようと、刺客は秋になれば常々狙ってくるのだ。ああ、怖い。やっぱ、魔法使い最高だな。

 

 他にも刺客は沢山いる。秋になれば、書ききれないほどの刺客が襲い掛かってくる。はっきり言ってかなり怖い。油断も隙もない敵に狂いそうになることもある。だが、彼を知り己を知れば百戦殆うからずと言うように、刺客のことを知り、自分のことを知っていれば必要以上に恐れる必要はないのだ。人生のスパイスとして、刺客も必要悪なのだ。刺客が存在するからこそ輝ける場合もあるのだ。

 

 私は、少しだけだが彼――刺客のことを書かせてもらった。ここまで読んでくださった貴方の少しでも役に立ってくれれば嬉しい。そして、このブログを読んでくださっている皆さんと一緒に、ブログサーフィンに出ようと思う。刺客のことを他の方のブログを読んで学ぼうと思う。多分、沢山の情報がアップされているはずだ。何せ、今週のお題は『秋の刺客』だから。

 

 

今週のお題「秋の味覚」

歯を食いしばりながらブログを書け

今週のお題「秋の準備」

 

 秋はチャンスである。ブログの季節である。

 おいおい、ちょっと待て。何が、ブログの季節だ。適当なことを言うな。

 そう思われる方っ! 覚えておいたほうがいい。秋はブログの季節ってことを。

 

 根拠が無い? ニヤリ。そう疑念を抱く方がいると思った。私だって読者の立場なら思うからね。適当なことばっか言ってんじゃねぇって。なので、ブログの秋ってことを論理的に説明しよう。

 

 さてさて。古来から、秋は、xxの秋といろいろな言葉に使われてきた。その中の一つに『読書の秋』がある。読書の秋? 知らね~な。と、くだを巻くのはよっぽどの負けず嫌いさんだ。だが、そんな負けず嫌いさんに負けないほど私も負けず嫌いなので、読書の秋 (どくしょのあき)とは【ピクシブ百科事典】 を貼っておく。

 

 要約すると、秋は過ごしやすい季節であると同時に、 夜の時間を持て余し気味になるので、そんな時間は読書に費やすのがお勧め。秋には読書がお勧め。ってことである。

 

 つまり、ブログの秋である。

 さすがに、これ以上の説明は不要だろう。とは言え、中途半端なのもよくないので記述しておくと、持て余し気味になった秋の夜は、ブログ巡りに最適である。と言い換えることができるはずだ。

 

 だから、狙い目なのだ。

 

 新規の読者を獲得するためには最適の季節である。おおっ、このブログ、面白い記事が書かれているじゃなイカ。と、ぽちっと読者登録される可能性が高くなるのだ。ただ、そのためには、良質で豊富なコンテンツが必要だ。そのことは解っているが、残念なことに、このはじめて間もないブログには、面白さはともかくとして、量が圧倒的に足りていない。活字中毒症の方であれば十分もしないうちに読み終えてしまうに違いない。故に、

 

 準備せよ!

 

 ただ、ひたすら準備せよっ!

 

 盲目で従順な子羊となって準備せよぉぉぉぉ!!!!

 

 眼を開いて割礼せよッ! このブログを活性化させ、情報を世界に発信し続け、世界征服の礎とさせるのだ。

 

 私は野望のためにブログを書く。いつの日か、我が力によって恒久の平和を実現することを目標として、ブログの秋を活用しようと体に鞭を打って頑張っているのだ。毎日、十五分以上、字数は千字。とりあえずは、6ホト(PV 6)を毎日越えるように頑張っているのだ。昼休みに気になってスマホでアクセスしてみて、正味のアクセス数が判らなくならないように耐えているのだ。

 

 だから、そこのあなたっ、このブログにアクセスしたのが運のつきと思って、読者登録をして見ませんか? とりあえず、コメントだけでもオッケーです。はてぶだけでも、それも嫌ってなら★だけでも……。

 

 くっ、これだけお願いしてもこんなものか。まだまだ道のりは遠いわ。おっと、その前に社畜たるもの明日の仕事のために休まねばならぬ。良い夢を……みたい。

 

 了

 

 

秋は裸になると鼻血が出ると云ふこと

今週のお題「秋の準備」

 

 秋とは鼻血 - Wikipediaの季節だ。秋になれば、人は裸になると鼻血が出る。そのような構造になっている。理由なんか無い。きっと、神様があのリンゴの中に仕組んでいたんだ。それか、アダムとイブをそそのかした蛇、そいつの仕業に違いない。全くもって迷惑千万、有史以来から今日に至るまで、呪いを受けているようなものだ。

 

 医学的には証明されている。裸になると、人間の表皮の温度が低下する。そうすると恒温動物の特徴から、体温を維持しようとする機能が働く。すると、全身の血液の流れる量が増え、体を活性化させようとする。犬や猫、チンパンジーやゴリラ、あいつらは十分な体毛があるから、そこまでの温度調整機能は必要ではない。しかし、霊長類の長たる人間は、何の因果か知らないけれど、体毛が薄くなっている。男性の場合、望まなくともどんどん薄くなる場合もある。クソっ! と、スマン脱線した。そんなことはどうでも良い。言いたいのは、人間は他の哺乳類と比較にならないほどの血圧上昇が見られるってことだ。

 

 つまり、裸になると鼻血が出るのは、冬場に、暖かい居間から寒いトイレに入る時に起こるヒートショック現象 - Wikipediaの 一種である。高齢者は、脳卒中心筋梗塞 を起こす可能性があるが、まだまだ若い人たちは、脳の真下にある血管の薄い部分、鼻腔内にてトラブルが発生するのだ。

 

 鼻血くらい日常じゃん。皆さん、そう思われているかもしれない。だが、その認識は甘い。鼻血によってとんでもないトラブルに巻き込まれることもあるのだ。そう、あれは、高校二年生のときのこと……いや、駄目だ。こんなところで書くわけにはいかん。人生を狂わせるようなトラブルの話なんて匿名であれ書く気にはなれない。

 

 そんな大変な話ではなくても、貧血を起こすこともあるし、ショック性のダメージを受けることもある。鼻血を放置していることで、より粘膜が傷つきやすくなり鼻血が出やすくなる体質になる場合もあるし、もっと重大な病気が隠されている場合もある。気になった場合は、耳鼻科に行くべきだ。餅は餅屋。病気はお医者。と昔からの諺にある通りだ。

 

 ただ、秋は別だ。秋になれば鼻血が出る。それは恒例行事、通過儀礼みたいなもので、お前、春と秋、どちらが好き? って訊かれた時、春の花粉症とどちらを選択するかという究極のアルティメット選択に通じるものがある。それくらい、裸になることで鼻血が出る世の中は至って当たり前の世界である。だから悩む必要は無い。だって、人間だもの。

 

 要するに、通常のレベルならば、鼻血が出ても気に病むことはないのだ。お気楽極楽に過ごせばいい。私なんか慣れっこで無意識のうちに鼻筋を圧迫して止血しているくらいになってるんだから。世の中の紳士淑女も、鼻血ウェルカムになればいい。そう常々思っているのだが、一つ、許せないことがある。それは、マスコミである。

 

 春に花粉情報を流すのに、秋に鼻血情報を流さないというのは、どのような理由だろうか。意味もなく放置しているのならば怠慢である。職務を果たしていないと言うべきだろう。

 

 その癖、鼻血を流すと、破廉恥なことを考えていたのでは、などと蒙昧虚妄甚だしい戯言を垂れ流す。そんなの医学的根拠は全く無い。断言してもいい。裸を見ると鼻血が出るってのは、偉大な漫画家がギャグとして描いたもので、事実とは異なるのだ。バナナの皮ですっころぶって定番のギャグと同じぐらいの普遍性を持ったジョークなのだ。

 

 それなのに、マスコミが勘違いをさせるばかりに、私がちーとばかり、裸になって踊って鼻血を出した程度のことで、変態扱いする人間が絶えなくなるのだ。

 

 誰だって、皆、秋になって裸になれば、鼻血を流すものだろっ!

 

 ――えっ……。

 

 ――流さない?!

 

 ――ほんと……ッ? 嘘でしょ……。

 

 えええええええええええぇぇぇぇぇ、秋になったら鼻血を出しちゃうの私だけっ?

 

 き、きっと、黙っているだけだよね。みんな言わないだけだよね。そうだ。そうに違いない。うん。ほら、みんなで鼻血を出しても困らないようにポケットティッシュを常備しよう。ねっ……。

 

 

[年収500万円程度]で終わった男たちの金言集に溜息を吐く

 [年収500万円程度]で終わった男たちの金言集 | 日刊SPA!

 を見て溜息が出てきた。はあ。

 

 年収はどうやって決定されるのだろうか。

 

 人間関係が良好ならば、暇な時に努力をしていれば、社内の人間と協力していれば、周りの人間を馬鹿にしていなければ、給料が上がる。

 そんなことを言う人がいるかもしれない。そして、それらは完全な過ちだとは言えない。言う気もない。けれども、本質的な要素を押さえていないと思う。

 

 年収はどうやって決定されるだろうか。う~ん。と考えているうちに結論に到達する。

 

 サラリーマンの場合、年収は所属する組織に依存する。

 

 それだけのことである。

 つまり、平均年収が二百万円の会社で五百万円以上貰うことは難しい。逆に、平均年収が八百万円の会社であれば、そこそこの年数を勤め上げ大きな失敗をしない限り五百万円以上貰うことができるだろう。成果主義が導入されている会社であれば、儲けが無い部署に所属していれば、どれだけ努力をしたとしても年収の上昇は望めない。逆に、窓際社員であったとしても、利益が出ている部署に在籍していれば、リストラされる可能性も低いだろう。通常は、同じ人物(年齢・能力)ならばブルーカラーよりホワイトカラーの方が年収が多いだろうし、食品・運輸系の職種より、商社・銀行系の職種の方が給料が多く貰えそうだ(内実は知りません)。数人規模の中小企業より、従業員が一万人を超える東証一部上場企業の方が、一般的には年収が多いことを期待できるはずだ。

 

 だから、もし、年収を増やしたいのであれば、自分の所属している組織のことを良く知る必要がある。部長クラスの人間の年収が五百万円ならば、将来の年収はそれ以上期待するのは難しい(無論、成長業種や自分がもっと昇進する根拠があるなど、必ずしもそうなると主張するわけではない)。出世街道から外れてリストラ予備軍と思われる人物の年収が一千万円ならば、会社が倒産しない前提で、五百万円の年収を期待することはささやか過ぎるだろう。

 

 未来のことは解らない。そのことは正しい。ただ、ある確率の元で推測できる。期待できるのか、できないのか。期待できなければどうしなければならないか。推測した年収に満足できないのであれば、どうすればいい? ある資格を取得すれば年収が十万円上昇するならば、可能な限り努力して取得するべきだ。何の資格が評価されるか判らない。と言いながら年収のアップを望むならば本末転倒だ。年収が十万円程度増えても希望年収に到達する見込みなど無い。そのことが判明しており年収に納得できないならば、組織を変更するしかない。つまり、転職するか、起業するかである。

 

 いやいや、そんなの無理だろ。そう言われるならば、その給与に甘んじるしかない。転職して現在の年収より下がる見込みしかないならば、会社から見ればポテンシャルは低い。社員として重要視されていない可能性がある。今の時代、暇な時に営業に出る振りしてコーヒーを飲んでいて五百万円も貰えれば万々歳と言ってもいい。娯楽費を抑制すれば十分問題なく生活できるレベルだろう。何か問題なの?

 

 ふざけんな。俺はもっと評価されるべきだ。ただ、方法が判らないだけだ。そう主張される方もいるかもしれない。私としては、そのように感じられる方に、SPA!を購入していただき、金言集が役に立ちそうかお聞きしたい。役に立ちそうなことが書かれているならば私も購入したい。

 

 ちょっと、お前待てよ。先走りすぎじゃね。金言集の人は、お前の言うところの平均年収八百万ある会社の人の言葉かもしれないだろ。と思われる方もいるかもしれない。勿論、その可能性もある。だが、もし、そうであれば余計に耳を傾ける気がしない。そう思わないだろうか。平均年収よりかなり下回る人の個人的見解を聞かされる。役に立つのそれ。とか言いたくなる。会社組織に所属しているならば良くあるアレ、のみゅにけーしょんとか何とか言われて説教されるアレ。とおんなじジャネ? 個人的な意見だけど、他人に評価されていない人に限って説教が長いんだよね。いやいや、あなたの意見、役に立たないから。って言いたくなるけど、社内的な人間関係もあるから沈黙を続けてひたすらウイスキーを飲むって罰ゲーム。そんなノリ。溜息が出てくるのも当然だと思わない?

 

 

 

校長名の公表は虐めに似ているのでは?

教育長が成績データ回収、静岡県知事の校長名公表方針 :日本経済新聞

静岡県の川勝平太知事が全国学力テストで成績が悪かった小学校の校長名を公表しようとしている

 とのニュースを見て唖然とした。

 よくも、まあ、こんなことを考えるなぁ、と。色々と書きたいことはあるけれど、教育に関して専門知識を有しているわけでもないので、一般的常識から一点のみ言及してみたいと思う。

 

 それは、組織論の話だ。

 会社組織において、一国一城の主と言えば部長である。その部長に対して、社長が業績を言及することは当然のことで、どこの会社でも数値で業績を比較され成績をつけられている。社員であれば他部署の業績を調べ、比較することは可能であろう。社内であれば。

 

 けれども、社外に発表するとなればどうであろうか。業績が悪い原因は部長だけにあるのだろうか。という問題もさながら、人事権や裁量権も委ねられていない飾りのような存在であれば、なおさら責任の所在が曖昧になる。と、この部分は学校組織を知らないので、はしょらせてもらう。

 

 さて、社外に発表され、世間の皆さんに無能と示された部長の立場はどうなるであろうか? 考えずとも解る。日本のような村社会では、後ろ指をさされること間違い無しだ。無言のプレッシャーに押しつぶされて自殺をする校長も出てくるかもしれない。その場合、社長が責任を取るのだろうか?

 

 ちょっと待て。業績が悪いのは、部長の責任じゃないのか? その指摘は一理ある。だが、業績が悪い責任は、世間に公表されて取らねばならないものではない。部長を交代若しくは解雇させられる。給料を減らされる。そのように責任を取らされるものであって、晒し者にされるものではない。つまり、責任の取らされ方、社長側からすれば、責任の取らせ方が間違っているのだ。

 

 さて、世間から非難されても部長が心機一転、やる気を見せて業績を上げればいいではないか。そのように考えられる方もいると思う。実際に、発奮して業績を向上させる部長もいるかもしれない。

 

 しかし、その発奮する部長より、より成績を悪化させる部長の方が多い可能性があることを知っておかなければならない。

 

 一般的に、このように恥をかかされた組織の生産性は低下する。ゴーレム効果――

ピグマリオン効果 - Wikipedia――と逆の現象

教師が期待しないことによって学習者の成績が下がること

が発生する。

 

 つまり、あの部長の下では駄目だ。そう感じた課長、平社員たちはさらに部長・部署に対し批判的になり、信用せず、業務をサボタージュする。これは、個々の課長・平社員のモラルや意識に差異があるため、全員が影響を受けるわけではないが、全体の傾向として効力が現れるため、結局のところ会社としての業績を悪化させる要因になる。

 

 考えてみて欲しい。

 自分の組織の部長が駄目部長である姿を。若しくは、自分が通っている学校の校長が駄目とレッテルが貼られている存在であることを。

 

 期待などできるはずも無い。課長は課長で、できるだけこの駄目部長から離れられるよう転属を望むだろうし、平社員は平社員で、どうせ駄目部長の下で働いても業績など向上しないと諦め、就業時間中に転職雑誌を読み漁るようになるだろう。そんなことになれば、一層の業績の悪化は免れない。

 

 もし、部長がそのような状況を苛み、喝を入れたり、てこ入れを行ったりしても、課長も平社員も駄目とレッテルを貼られた部長の指示など真っ当に従おうとしない。逆に、そんな駄目部長の指示に従っていれば、自分まで無能のレッテルを貼られかねないと、敵対する部下たちも現れるだろう。

 

 戦術の理論で、羊が指揮官の狼の群れより、狼が指揮官の羊の群れの方が強い。との説がある。実際には、羊が指揮官の狼の群れが勝つと思われるが、ここでは、指揮官が優秀な人材であることの重要性が明示されているのだ。

 

 ただ、どんなに優秀な指揮官であろうと、部下に信頼されていなければ、勝利に辿り着くことは難しい。指示に従わない部下が沢山いては、どんなに作戦が優れていようとも遂行することが難しい。

 

 無能であると公表することは、一種のラベリング理論 - Wikipediaに当てはまる。部長と言う職務から、駄目部長という逸脱した存在を想像することで、本人も自分自身を否定されることで向上心を失い、部下からの信頼も失うと同時に帰属意識を低下させ、組織を弱体化させることになる。

 

 要するに、部長に恥をかかせるメリットなんて何処にもない。

 だから、組織では指揮官を大事にする。部長を尊重する。無能だと判断した場合は、できるだけ速やかに職務を奪い交代させる。恥をかかせたままその職務につかせるなどと言うことは絶対にしない。そして、してはいけない。

 

 リンゴを自分の意志で腐らせておきながら、山積みになった一番上に置いておくようなものだ。腐らせるようなことはしてはいけないし、腐っていると気づいたなら速やかに処分しなければならない。

 

 仕方が無いじゃないか。知事には校長を交代させる権限は無いのだから。もし、そう言われるならば、恥をかかせることだけでも止めたほうが良い。それだけのことだ。無意味な騒動を引き起こすより、どうすれば成績を向上させることができるか、考えさせたほうが良い。それだけのことではなかろうか。

 

 了